はじめに:なぜ多くの部署が下期も目標未達に終わるのか
「今度こそは、部下としっかり向き合う」
「目標達成できる、強いチームにする」
半期に一度の業績レビューの後、管理職からそんな力強い「決意表明」を聞くたびに、人事担当者は期待とほんの一抹の不安を覚えます。
なぜなら、その熱意が具体的な行動計画に変わらなければ、数ヶ月後にはまた同じ結果が待っていることを経験上知っているからです。「熱意」という名のガソリンだけでは、チームという車は走り出しません。
目標達成できる部署とできない部署の違いは、管理職の能力や部下のスキルの差ではありません。“目標に対する部下の納得感”の有無が、決定的な差を生み出しているのです。
リクルートマネジメントソリューションズ「マネジメントに関する実態調査2023」によると、「部下との目標共有が十分にできている」と回答した管理職は全体の41.2%に留まっています。つまり、約6割の管理職が、目標共有に課題を抱えているということです。
経営者が抱える3つの痛み
1.プレイングマネージャーの罠
「うちの管理職は、自分が動いた方が早いと思って、結局全部自分でやってしまう」
これは多くの中小企業で聞かれる悩みです。日本能率協会の 「日本企業の経営課題2023」 では、中小企業の管理職の82.3%がプレイングマネージャーとして実務を兼任しているという結果が出ています。
確かに短期的には成果が出るかもしれません。しかし、これでは組織としての成長は望めません。部下は育たず、管理職は疲弊し、結果として組織全体のパフォーマンスは頭打ちになります。
2.形骸化した目標管理
期初に立派な目標設定シートを作成し、それで満足してしまう。四半期レビューの時に慌てて引っ張り出してきて、「進捗はどうだ?」と聞くだけ。これでは目標管理とは言えません。
労務行政研究所の「目標管理制度の運用に関する実態調査」によると、目標管理制度を導入している企業の57%が「制度が形骸化している」と回答しています。期初に設定した目標を日常的に意識している社員は全体の3割程度に過ぎないのが現実です。
3.部署間格差の拡大
同じ会社、同じ条件下にありながら、なぜA部署は常に目標を達成し、B部署は常に未達なのか。この格差は、管理職個人の資質だけでは説明できません。そこには、組織マネジメントの「型」の有無が大きく影響しています。
戦術偏重の落とし穴:なぜ「どうやるか」から始めてはいけないのか
下期の目標達成に向けて、多くの管理職が真っ先に着手するのは「戦術」の検討です。
「新しい営業ツールを導入しよう」
「週次ミーティングを増やそう」
「KPIをもっと細かく設定しよう」
これらは確かに重要です。しかし、これらは全て「How(どうやるか)」の話です。その前に確認すべき、もっと大切なことがあります。それは「Why(なぜやるのか)」と「What(何を目指すのか)」の共有です。
なお、ギャラップ社の分析によると、「自分の仕事の目的を明確に理解している」従業員のエンゲージメントスコアは、そうでない従業員の3.8倍高いことが示されています。つまり、高業績チームに共通しているのは戦術の巧みさではなく、“目標に対する部下一人ひとりの「腹落ち感」”なのです。
たった一つの解決策:目標の「すり合わせ」と「納得感の醸成」
なぜ「すり合わせ」が必要なのか
目標は上から降りてくるもの―多くの組織でこの前提が当たり前になっています。しかし、この一方通行のコミュニケーションこそが、目標未達の根本原因です。
部下は機械ではありません。一人ひとりが異なる価値観、キャリア観、そして個人的な事情を抱えています。組織の目標と個人の目標をすり合わせることなく、ただ「やれ」と言われても、本気になれるはずがありません。
「納得感」がもたらす3つの効果
1.主体性の発揮
納得した目標は「やらされ仕事」ではなく「自分ごと」になります。指示待ちだった部下が、自ら考え、行動するようになります。
2.困難への耐性
目標達成への道のりは平坦ではありません。困難に直面した時、納得感のない目標はすぐに放棄されます。一方、腹落ちした目標は、多少の困難では揺らぎません。
3.創意工夫の促進
「なぜこの目標が必要か」を理解している部下は、単に指示通りに動くのではなく、より良い方法を自ら考え出します。
実践方法:目標すり合わせの5ステップ
ステップ1:個別面談の実施
まず、部下一人ひとりと向き合う時間を作ります。この面談の目的は、部下の本音を引き出すことです。
【質問例】
「今期の目標について、正直どう思っている?」
「この目標を達成することで、あなた自身にとってどんな良いことがある?」
「目標達成の障害になりそうなことは何?」
ステップ2:ギャップの可視化
組織の目標と部下の思いのギャップを明確にします。ここで重要なのは、ギャップを「悪」として捉えないこと。ギャップは対話の出発点です。
ステップ3:接点の探索
組織目標と個人目標の接点を一緒に探します。
【フレームワーク例】
・組織の目標達成が、部下のキャリア形成にどう貢献するか
・部下の強みが、組織目標達成にどう活かせるか
・目標達成過程で、部下が得られるスキルや経験は何か
ステップ4:目標の再定義
すり合わせの結果を踏まえ、目標を「共創」します。数値目標は変えられなくても、その達成方法や、個人としての成長目標を付け加えることで、目標に血を通わせます。
ステップ5:定期的な振り返り
目標設定後も、定期的な対話を継続します。状況の変化に応じて、目標の意味づけを更新していきます。
目標すり合わせの効果
目標のすり合わせと納得感の醸成は、組織に大きな変化をもたらします。
①生産性の向上
ハーバード・ビジネス・レビューの研究によると、従業員の目標に対する納得感が10%向上すると、生産性は8.9%向上することが示されています。
②エンゲージメントの改善
エンゲージメントの高い従業員を持つ企業は、営業利益率が平均23%高いという調査結果もあります(ギャラップ社分析)。
③離職率の低下
目標に納得感を持って働いている従業員の離職率は、そうでない従業員と比較して約半分になるという傾向が見られます(パーソル総合研究所「目標管理制度の“形骸化”実態調査」2022)。
人事担当者としてできる支援
1.管理職への意識づけ
目標すり合わせの重要性を、管理職研修で繰り返し伝えます。特に新任管理職には、この「型」を徹底的に身につけてもらいます。
2.時間の確保
「忙しくて部下と話す時間がない」という言い訳を封じるため、目標すり合わせの時間を公式にスケジュール化します。例えば、四半期初の2週間を「目標対話週間」として設定するなどの工夫が有効です。
3.ツールの提供
面談シートやすり合わせのフレームワークなど、実践を支援するツールを準備します。何から話せばいいか分からない管理職も、ツールがあれば対話を始めやすくなります。
4.好事例の共有
目標すり合わせに成功した部署の事例を社内で共有し、横展開を促進します。「あの部署でできるなら、うちでも」という前向きな競争意識を醸成します。
よくある抵抗と対処法
「そんな時間はない」
確かに初期投資として時間はかかります。しかし、納得感のない部下を動かすために費やす時間の方が、結果的に多くなります。目標すり合わせは、最も効率的な時間投資です。
実際、1on1ミーティングを定期的に実施している企業では、その時間投資に対して約3倍のリターン(生産性向上による効果)があるという試算(パーソル総合研究所「『はたらく人の希望』に関する定量調査」2022)もあります。
「部下が本音を言わない」
これは関係性の問題です。まず管理職自身が自己開示をすることから始めましょう。「実は私も、この目標にプレッシャーを感じている」という本音の共有が、部下の心を開きます。
心理的安全性の研究で知られるエイミー・エドモンドソン教授は、「リーダーの脆弱性の開示」が心理的安全性を高める最も効果的な方法の一つだと述べています。
「数値目標は変えられない」
数値自体を変える必要はありません。その数値にどんな意味を持たせるか、達成過程で何を大切にするかは、いくらでも工夫できます。
例えば、「売上1億円」という目標に対して、「新規顧客開拓のスキルを身につけながら1億円を達成する」「チームワークを深めながら1億円を達成する」など、プロセス目標を付加することで、目標に深みを持たせることができます。
実践のためのチェックリスト
下期開始前に、以下の項目をチェックしてみましょう。
□ 部下全員との個別面談の日程は設定したか
□ 面談のためのワークシートは準備したか
□ 部下のキャリアビジョンを把握しているか
□ 組織目標の背景を、自分の言葉で説明できるか
□ 目標達成後の姿を、具体的にイメージできているか
□ 定期的な振り返りの仕組みは作ったか
□ 上司(経営層)との目標認識は合っているか
□ 他部署との連携事項は明確になっているか
おわりに
「人は理屈では動かない。感情で動く」
これは組織開発の基本原則です。どんなに立派な戦略も、緻密な計画も、それを実行する人の心が動かなければ、ただの紙切れです。
目標の「すり合わせ」と「納得感の醸成」は、一見遠回りに見えるかもしれません。しかし、これこそが最も確実な目標達成への道です。
部下は、自分が大切にされていると感じた時、組織のために本気になります。自分の成長と組織の成長がリンクしていると実感した時、限界を超えた力を発揮します。
下期こそ、目標を達成したい。しかし、その前に一度立ち止まって、部下一人ひとりと向き合ってみてください。彼らの目に、目標達成への情熱は宿っていますか?
もしそうでないなら、今すぐ始めるべきことは、新しい施策の導入ではありません。部下との対話です。目標のすり合わせです。納得感の醸成です。
中小企業の限られたリソースの中で最大の成果を生み出すために、「人」という最も重要な経営資源を最大限に活かす。それが、目標すり合わせの本質です。
あなたの組織が、下期こそ真の意味で目標を達成し、そして何より、そこで働く人々が生き生きと輝くことを心から願っています。
組織の真の競争力は、戦略でも技術でもなく、そこで働く人々の情熱と創造性にあるのですから。
読んでいただき、ありがとうございました。